ハイコ・マース*  「ローゼンブルクの記録」――連邦司法省は1950年代および60年代にナチ時代とどのように関わったか、それは現代にいかなる政治的結果をもたらしたか

  目 次
 一 研究者への委託
 二 委員会の研究方法
 三 研究の結論:77パーセントが元ナチ党員
 四 人的連続性がもたらした不幸な結末
 五 重くのしかかる法律家による民主的再生の阻害
 六 今日の法律家:単なる法の技術者以上の存在
 七 現代にとっての教訓
  1.法曹養成の必須資料としてのナチの不法
  2.諸個人の知識と責任の重視
  3.「恐ろしくない法律家」の記憶
  4.『ローゼンブルク記録』の普及
 八 終わりなき歴史

 一 研究者への委託
 連邦司法省は、1950年代および60年代にナチの過去とどのように関わったのか。ある委員会が4年にわたって、その問題を政府の介入を受けずに研究した。その後、最終報告書が提出された。『ローゼンブルクの記録』と名付けられた重厚な文書がそれである。それは、過去に重大な怠慢があったことを示している。それと同時に、現代に課せられている義務が何であるかを定式化している。
 2010年に外務省に関する研究が新聞記事を賑わせたとき、私の前任者のザビーネ・ロイトホイサー=シュナーレンベルガー大臣は、我々が今いる連邦司法省の過去は、いったいどのようなものであったのかという問題を提起した。ここにも研究の空白がある。そのような指摘が即座に向けられた。ナチ時代については数多くの研究があるが、連邦司法省それ自体がナチの過去といかに関わってきたのかという点ついては、長いあいだ多くの人に知られないままであった。ロイトホイサー=シュナーレンベルガー女史は、その当時、率先して研究を推進した。その当時の責任者の政治的な色合いを考慮することなく、それを遂行した。連邦首相官房は、その歴史を編纂することに対して、この間まで猛烈に抵抗していたが、その抵抗がいかなるものであったかが知られたとき、自明なことなど一つもないことが明らかにされた。この点に関して、ロイトホイサー=シュナーレンベルガー女史に敬意を表するものである。

 二 委員会の研究方法
 連邦司法省は、独立した研究委員会に関わるにあたって、3つの基本原則を持った。第一には、どこに研究の重点を置くか、どのような方法に基づいて研究するかという点に関して、研究者に完全な自由を保障したということである。ここでは我々の側から指示を出し、影響を与えることはしなかった。第二には、連邦司法省は文書や記録に関して、全面的に公開するよう心掛けたことである。我々が研究者に公表したのは、全ての個人記録だけではなかった。極秘の禁帯出物件のような文書であっても、閲覧できる方法を探し出すようにした。そして第三に、連邦司法省は委員会を行政的に支援したことである――いわゆる「ローゼンブルク・シンポジウム」を6回にわたって開催した。研究委員会は、「公的な歴史」という方法に基づいて研究したことを明らかにし、その作業の中間報告を公的な議論に付した。我々は連邦司法省において、研究委員会を支援するために、プロジェクト・グループを立ち上げた。

 三 研究の結論:77パーセントが元ナチ党員
 研究委員会の最終報告書は、2つの事柄を示している。ナチの司法と建国当初の連邦共和国の司法省との間に人事面で大規模な連続性があったこと、そしてこの連続性が民主的に新たに出発しようとする連邦共和国の足かせとなり、その出発を妨害し、停滞させたことである。
 その人数は明らかにされている。1973年までの連邦司法省の幹部職員の数、すなわち局長、部長、課長の人数は、合計で170人であった。そのうち53パーセントが元ナチ党員であり、その5人に1人が旧親衛隊であった。16パーセントが旧帝国司法省の出身者であった。幹部職員のうち彼らが占める割合が最高に達したのは、1959年であった。幹部職員の77パーセントが、元ナチ党員によって占められていたのである。
 グスタフ・ハイネマンは、生まれたばかりの連邦共和国の建国当初、司法省の重要ポストがナチの残党によって占められていることに警告を発した。しかし、1949年の時点で支配的だったのは、終止符を打とうとする心情であった。新規の職員採用にあたって重宝がられたのは、とくに非政治的な法律家であり、その法的技術者としての行政管理的効率性であった(と思われる)。明らかに高く評価されたのは、法治国家を徹底して重視する態度、それと同時にファシズムに反対する姿勢よりも、ナチの司法において積み重ねられた経験の方であった。
 連邦共和国の建国当初に司法省の頂点にいたのは誰であったのかを考えると、このような採用人事は奇妙に思われる。連邦司法省の初代大臣は、リベラル派のトーマス・デーラーであった。彼はユダヤ人女性と結婚し、そのためにナチの時代に直接的な迫害と差別を受けた経験がある。事務次官は、キリスト教民主同盟のヴァルター・シュトラウスであった。彼は、ユダヤの出自であることを理由にナチによって連邦司法省の役職から排除された。それにもかかわらず、この2人がかつての法律家をこれほどまでに多く連邦司法省に復帰させるような人事政策をとったのはなぜか。その理由を明らかにすることは、今なお非常に難しいテーマである。おそらく、「ストックホルム症候群」のようなものが、すでに建国当初の連邦共和国にあったのではないだろうか(ストックホルム症候群とは、誘拐事件や監禁事件などの被害者が犯人と長時間過ごすことによって、犯人に対して同情や好意等を抱く心理現象を指す精神医学の専門用語――訳者による注釈)。かつての犠牲者は、大勢の実行犯と共犯者によって取り囲まれていた。しかも、かつての被迫害者もまた、実行犯と同様に、過去に目を閉ざしたくなるほど、すぐにでも正常な状態を取り戻したいという気持ちを強めていたのである。

 四 人的連続性がもたらした不幸な結末
 批判者たちは、ローゼンブルク・プロジェクトに対して、「ナチへの報復」をやろうとしているだけだと侮辱的に述べた。しかし、このプロジェクトはそれ以上のことを行った。つまり報告書は、人的連続性がいかなる結末をもたらしたかという点に関しても指摘している。私はそこに注目すべき3つの点を発見した。
 第1は、多くの法律が脱ナチ化されたが、それは見せかけでしかなかったことである。ナチの法律は、それによって民主主義によって祝福されたことになる。それは要するに、我々がナチ時代に由来する定式と理念を今日まで持ち続けてきたことを意味する。研究者は、この点について非常に具体的な事例を挙げている。例えば、異論があるにもかかわらず少年法に犯罪少年の拘禁許容規定が設けられていること、また刑法に謀殺罪規定がそのまま規定されていることである。
 人的連続性がもたらした第2の点は、ナチによって犠牲を受けた多くの人々が、連邦共和国の初期の時代においても依然として差別を受けたことである。印象的な事例は、男性同性愛者に対する迫害である。1960年代には、多くの国々で男性同性愛行為はすでに不可罰な行為とされていた。ドイツでは2回の法曹大会が開催され、また大刑法委員会が組織され、その行為を非犯罪化すべきであるとの発言がなされた。しかし、連邦司法省に勤務する法律家は、男性同性愛行為は引き続き処罰されねばならないと頑なに固執した。しかも、その主張をナチの議論を持ち出して、次のように主張した。レーム一揆は示している。男性同性愛者によって排他的な集団が形成されることがいかに危険であるかを。連邦司法省の法律家は、そのような議論を公式の場で行ったのである。そのようなことがあっただけに、この不法を取り除くことが重要である。これまで連邦共和国においても、あの評判の良くない刑法175条に基づいて有罪判決が言い渡されてきたが、それが可及的速やかに取り消されなければならない。我々はすでにそのための法案を提出している。
 人的連続性がもたらした第3の点は、連邦司法省が制度を利用して民族謀殺と戦争犯罪の刑事訴追を妨害して、それによってそれらの犯罪を隠蔽したことである。ある時は公然と、またある時は隠然と恩赦を出した。それと同時に、次のような様々な個別の事例が繰り返されたことに注目しなければならない。例えば、マックス・メルテンの事例がそれである。この法律家は、1945年以前に帝国司法省に採用され、その後は連邦司法省で勤務に就いていた。その間、彼はギリシアで4万5千人のユダヤ人に対して略奪行為を行い、それが終わるとアウシュヴィッツへの移送を組織した。報告書は、次のように指摘している。連邦司法省は、赤裸々に、かつ公然と関与し、この人物を保護し、彼に適正に科されるべき刑罰を免除したと。

 五 重くのしかかる法律家による民主的再生の阻害
 建国当初の連邦共和国は、あまりにも多くの古参の司法官僚によって支えられていた。それがいかに不幸な結末をもたらしたか。以上挙げた事例から、そのことは明らかである。多くの法律家は、表面的にしか基本法に順応しなかった。民主的な精神を内面化したのは、わずかしかいなかった。報告書の文章を読んで特に印象深かったのは、1959年以降、連邦政府は秘密裡に「有事法」を定式化していたことである。そのための45の緊急命令が立案されていた。2万部の連邦法令官報が印刷され、緊急の場合に公布するために、すでに準備されていた。基本法には、このような秘密の有事法の根拠となるものはなかった。その多くの規定は基本法に反し、また司法権に関する基本法令にも反していた。それどころか、警察による予防拘禁――それは悪名高き「保護拘禁」の再来である――が導入されていた。この計画は、組織された憲法違反であった。しかし、憲法の番人であるはずの連邦司法省の法律家は、ためらうことなく、公然とその計画に協力した。抵抗した形跡は全くなかった。法律家が非政治的な法技術者であることを自負したとき、いかなる運命をたどるか。そのことをこの事例は明白に示している。彼らは、その上司のその時々の任意の意思を実行し、それを条項へと注ぎ込む。そのような態度が、まさにナチ時代の法律家を不法の共犯者に変えたのである。その後も法治国家を重視する態度が欠けていたため、彼らは連邦司法省の民主的再生にブレーキをかけた。それどころか、それに危害を加えることさえしたのである。

 六 今日の法律家:単なる法の技術者以上の存在
 人間の尊厳、個人の自由権、そして民主的な多様性。法律家がこれらの基本法の価値に生命を吹き込むことが、また場合によっては価値を防衛することがいかに重要であるか。以上のような歴史を垣間見れば、それはもう明らかである。我々が現代に対して果たすべき義務の履行は、この立場に立つことによって始まる。私はそう思う。我々は、法律家の法治国家的・民主的精神を引き続き強化していかなければならない。確かに、ローゼンブルクとナチは過去の問題である。しかし、歴史には終わりはない。我々は、そのような問題を単純化してはならない。現在においても、人道主義と自由は危機にさらされている。正確に言えば、民主的に構成された法治国家においても、そのような危機が進行しているのである。9・11以降のテロ対策において、行き過ぎた行為が現にあった。それについて考えてみよう。それは、おそらくテロの陰謀を阻止するための拷問であった。しかし、それは些細なものだったのか。テロリストに対しては、敵と闘う刑法が必要だったのか。他の人々を救命することを願いながら、数人の生命を犠牲にしてはいないか。今日、再び人権保障と法治国家の在り方が問題になっている。そのような時にこそ法律家が求められている。法律家は、そのような時に心構えを示さなければならない。抵抗する勇気を持たねばならない。

 七 現代にとっての教訓
1.法曹養成の必須資料としてのナチの不法
 ローゼンブルク・プロジェクトがもたらした最も重要な結論は、このような心構えと勇気を我々法律家のところで強化することである。私はそのように思う。我が国の裁判官法は、修習生は外国語の学習課程を受講していなければならないと定めている。それは、確実にグローバルな競争にとって重要な準備である。しかし、法において必要なのは競争だけではない。価値も重視されなければならない。ドイツの法律家が20世紀に引き起こした不法は、法曹養成の必須資料になるべきであると、私は思う。法曹養成はラントの管轄であるが、私はこの問題を次回の司法大臣会議において提案し、議論することを考えている。
2.諸個人の知識と責任の重視
 今日、連邦司法省で勤務している全ての職員は、本省の歴史を知るべきである。それゆえ我々は、今年度から新しい職員研修プログラムを始める。我々はそれをヴァンゼー会議記念館と協力して行う。その研修では、個々の職員は法と正義のためにいかなる責務を負っているかということも課題になる。連邦司法省の歴史に関わる問題を知るためには、この建物の歴史も知らなければならない。ベルリンのモーレン通り37番地には、かつてベルリン・ユダヤ紡績商人の商店街があった。その一角にあった建物が現在の連邦司法省の建物である。この建物には長い歴史があったが、ナチがそこにいる人々から財産を没収し、殺害したため、それも消えてしまった。今日、この建物のなかで法のために働く人は、かつてここで働いていた人々の身にどのような不法が降りかかったのかを知らねばならない。それゆえに、私はベルリンのフンボルト大学に対して、この建物の歴史とその住人たちの運命を研究するよう要請した。我々は、11月にはその研究結果を発表することができるであろう。
3.「恐ろしくない法律家」の記憶
 犠牲者と実行犯を忘れないこと、それが記憶の意味するところである。しかも、積極的な役割を担った模範的人物を記録することまた記憶にとって重要である。2014年にフリッツ・バウアー人権と法学現代史研究奨励財団が設立されたことによって、我々は最初の重要な一歩を記した。それを通じて我々は、若手法律家が、フリッツ・バウアーの人物、業績、そして彼のライフワークを研究することに、これまで以上に強く取り組むことを奨励している。今、我々は次の一歩を準備している。来年には、ナチの時代に不法に抵抗した裁判官および検察官に関する研究書を公刊して、かれらを記念したいと思う。残念ながら、そのような法律家の人数はごくわずかである。しかし、そのような勇気ある法律家を記念することは非常に意義深いことである。
4.『ローゼンブルクの記録』の普及
 最後の論点である。それがおもらく最も重要であろう。我々は、『ローゼンブルクの記録』の成果を普及したいと思う。この研究結果を二冊の書物の間に挟んで書棚に置いたままにしてはならない。これは、むしろ人々の脳裏に焼き付けるべきものである。しかも法律家の脳裏に焼き付けるだけであってはならない。それゆえ、来年には移動展覧会の開催を開始する予定である。我々は、それによって法と不法に関する新たな知識を普及したいと思う。

 八 終わりなき歴史
 歴史に終わりはない。我々は、少数派に対する憎悪と暴力が激化しつつある時代に生きている。信教の自由が認められているにもかかわらず、様々な自由が制度的に保障され、また報道機関が政治的に介入を受けることなく自由な言論が認められているにもかかわらず、合憲・違憲の審査をする憲法裁判所の管轄権が強化されているにもかかわらず、ドイツとヨーロッパの右派ポピュリストは、そのような基本権を攻撃している。人権と法治国家性が今日再び疑問視されている、このような時代とはどのような時代なのか。この問題を考えるうえで非常に貴重な教訓を与えてくれるのが、歴史に関する知識である。そえゆえ、『ローゼンブルクの記録』において問題にされているのは、過去の話ではない。そこにおいて特に重視されているのは、しっかりとした姿勢で、また勇気をもって基本法の価値の実現を引き受ける法律家である。

*ハイコ・マース(ドイツ連邦共和国・連邦司法および消費者保護省大臣)
**Heiko Maas, Die „Akte Rosenburg“ Der Umgang des Bundesjustizministerium mit der NS-Zeit in den 1950er und 60er Jahren und die politischen Konsequenzen für Gegenwart, in: Recht und Politik Vierteljahreshefte für Rechts- und Verwaltungspolitik 52. Jahrgang 4. Quartal 2016, S. 193-196.

【付記】本稿は、2016年10月10日にベルリンで行われたマンフレート・ゲルテンマーカー/クリストフ・ザッファーリンク著『ローゼンブルクの記録――連邦司法省とナチ時代』の出版記念会見でのハイコ・マース連邦司法大臣の講演を加筆・補正したものである。

 解説


1.ハイコ・マース演説の意義
 ハイコ・マースは、2016年10月10日にベルリンで開催された『ローゼンブルクの記録』の出版記念記者会見において講演を行った。それは加筆・補正され、「『ローゼンブルクの記録』――連邦司法省は1950年代および60年代にナチ時代とどのように関わったか、それは現代にいかなる政治的結果をもたらしたか」として季刊「法と政策」52号(2016年第4号)に掲載された。本稿はその邦語訳である(Heiko Maas, Die „Akte Rosenburg“ Der Umgang des Bundesjustizministerium mit der NS-Zeit in den 1950er und 60er Jahren und die politischen Konsequenzen für Gegenwart, in: Recht und Politik Vierteljahreshefte für Rechts- und Verwaltungspolitik 52. Jahrgang 4. Quartal 2016, S. 193-196.)。
 1950年代・60年代において連邦司法省は、ナチ時代とどのように関わったのか。つまり、ナチ犯罪の実行犯の刑事訴追や責任追及にあたって、どのような役割を果たしたのか。それは現代に対していかなる結果をもたらしたのか。歴史学者と刑法学者は、連邦司法省の依頼に応えて、長年明らかにされてこなかったこの問題に学問的な批判のメスを入れ、司法省が隠し続けてきた暗部に光をあてた。この研究に従事したのは、マンフレート・ゲルテンマーカー教授(ポツダム大学・歴史学)とクリストフ・ザッファーリンク教授(エアランゲン=ニュルンベルク大学・刑法学)である。両教授による調査・研究報告は、『ローゼンブルクの記録 連邦司法省とナチ時代』としてまとめられ、出版された(Manfred Görtenmaker/ Christoph Safferking, Die Akte Rosenburg Das Bundesjustizministerium der Justiz und die NS-Zeit, 2016, C.H.Beck)。第1部では、占領期の司法改革およびニュルンベルク裁判の模様と連邦共和国建国直後の司法省の設立状況が紹介され、第2部では、連邦司法省および連邦裁判所等の各級の裁判所の人的構成、そしてナチ人脈とナチ法規の戦後への連続性が分析されている。
 マースは、研究を委託した連邦司法大臣として、『ローゼンブルクの記録』の意義を記者会見の場で述べた。それが本稿である。

2.『ローゼンブルクの記録』の目的――連邦司法省における負の遺産の解明
 1950年代・60年代の連邦司法省とナチ時代との関りを今問題にするのはなぜか。刑法史研究の空白を埋めるためか。もちろん、それもあろう。しかし、それだけではない。現代の刑事司法が未来へと発展していくための羅針盤を得るためである。戦前から戦後への過渡期において、連邦司法省内部に多くのナチ残党が残留することになった。ニュルンベルク国際軍事裁判においてナチの主要戦争犯罪人が処罰され、またドイツ社会全体が非ナチ化の浄化プロセスを経たにもかかわらず、なぜそのような事態が生じたのか。戦後直後の連邦司法省の中心的メンバーは、そのことをどのように考えていたのか。戦後の社会は、その事態に対して警鐘を鳴らさなかったのか。『ローゼンブルクの記録』は、この問題を提起している。
 ハイコ・マースは、ナチ人脈が現代にもたらした負の遺産を3点挙げている。第1は、ナチ刑法が残存したことである。戦後処理と刑事司法の過程において、多くの法律が非ナチ化されたかに見えたが、多くが残存し、それが基本法の理念である社会的・民主的法治国家によって継承されている。例えば、少年法における少年拘禁規定と刑法における謀殺罪規定がそれである。ナチ時代に改正された規定が戦後改定されることなく引き継がれていることについて、法におけるナチ的なものについて、改めて批判的に検討する必要がある。
 第2は、男性同性愛行為処罰規定が改廃されずに残ったことである。ドイツ刑法には、1871年の時点においてすでに男性同性愛行為の処罰規定が設けられていた。これを厳罰化改正したのが1935年の刑法改正である(旧2条から罪刑法定主義を削除し、類推許容規定を導入した刑法改正)。ヨーロッパの諸国では、同性愛行為は一般に不可罰とされているにもかかわらず、またドイツでも非犯罪化改正を求める意見があったにもかかわらず、戦後の連邦司法省の官僚法曹たちは、この規定に固執した。しかも、ナチが厳罰化改正をした当時の主張を持ち出して非犯罪化要求を斥けたのである。
 そして第3は、連邦司法省の幹部がナチの民族謀殺と戦争犯罪の訴追を妨害し、司法省内部に隠れ潜んでいる実行犯を匿ったことである。ナチはホロコースト、安楽死、侵略戦争を遂行するために法制度を用いた。そのお陰で、多くの政策を効率的かつ実効的に遂行することができた。そのための知識と技術を提供したのが帝国司法省の官僚法曹であった。非行少年に対する拘禁の許容、謀殺罪規定の改正、男性同性愛行為の厳罰化を、誰が、いつ、どのような目的から推進したのか。戦後それが改められずに、そのまま連続したのはなぜか。『ローゼンブルクの記録』は、この問題を改めて指摘している。

3.『ローゼンブルクの記録』が指し示す民主的司法像と法曹像
 ドイツ連邦共和国は、基本法の制定以降、社会的・民主的法治国家の建設を目指して取り組んできた。刑法によるナチの過去の克服は、そのなかでも重要な取り組みであった。しかし、1950年代・60年代の連邦司法省が、実はナチ残党の巣窟であったことが明らかにされた。アウシュヴィッツ強制収容所の所長や看守の実行犯を裁くために奮闘するフリッツ・バウアーを妨害したのは彼らであった。法治国家司法の民主的再生は、つまづきながら始まらざるを得なかった。つまづきの要因はそのまま残っている。従って、それを取り除かなければならない。ハイコ・マースは決意を込めて、ドイツの法曹制度の改革に着手し、基本法の価値の実現の担い手を自覚的に養成することを提案している。さらに、連邦司法省の職員研修制度の改革にも取り組んでいる。ヴァンゼー会議記念館の協力を得て、それを進めるという。ヴァンゼー会議とは1942年にヨーロッパ・ユダヤ人の移送と殺害の分担と連携を検討した会議であり、そこには多くの官僚法曹が参加した。その記念館と共同して実施される研修制度は、連邦司法省を暗い過去に向き合わせ、そこから民主的な司法像を模索する糸口を提供するであろう。
 さらに、『ローゼンブルクの記録』は、連邦司法省の妨害に屈することなく、ナチ犯罪の実行犯の刑事責任を追及したフリッツ・バウアーらの精神を継承すべきことを強調している。また、彼以外にも戦後ナチと闘った法律家がいたこと、さらにはナチの時代に不法への抵抗を試みた法律家がいたことを明らかにしている。これらの研究から未来の民主的司法像と法曹像が鮮明に示されるに違いない。

4.本稿の邦語訳の掲載について
 本稿の邦語訳を掲載するにあたって、ドイツ連邦司法省から2017年10月26日付け電子メールで許可をいただくことができた。マース大臣および担当部局のホルステ博士に感謝する次第である。
 なお、本稿の意義と内容を理解するために、以下の文献を参照されたい。
・Irmtrud Wojak, Fritz Bauer und die Aufarbeitung der NS-Verbrechen nach 1945, in: Blickpunkt Hessen Nr. 2/2003(イルムトゥルード・ヴォヤーク〔本田稔・朴普錫共訳〕「フリッツ・バウアーと1945年以降のナチ犯罪の克服」立命館法学337号〔2011年〕559頁以下)
・Ronen Steinke, Fritz Bauer oder Auschwitz vor Gericht, 3., Auflage, 2016(ローネン・シュタインケ〔本田稔訳〕『フリッツ・バウアー アイヒマンを追いつめた検事長』〔アルファベータブックス・2017年〕)
・Heiko Maas, Fritz Bauer – „Ein Held von gestern für heute“, in: Recht und Politik Vierteljahreshefte für Rechts- und Verwaltungspolitik 51. Jahrgang 3. Quartal 2015, S. 145-148(ハイコ・マース〔本田稔訳〕「フリッツ・バウアー 『昨日の英雄。それは今日のためにいる』」立命館法学373号〔2017年〕487頁以下)
・本田稔「過去の克服とフリッツ・バウアー」立命館法学369=370号(2017年)607頁以下。
・本田稔「現代司法における戦前・戦後の断絶と連続――フリッツ・バウアーをめぐる近年のドイツの法事情から学ぶ」法と民主主義524号(2017年12月)31頁以下。
・「旧西独法務省幹部 戦後すぐ、77%元ナチ党員」しんぶん赤旗2016年10月13日。
・「『フリッツ・バウアー アイヒマンを追いつめた検事長』ドイツで大反響・今月日本で出版」京都民報2017年8月27日。
・「ナチス追及の検事長に脚光」朝日新聞2017年10月19日(夕刊)。

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