刑事判例集を法学初修者にもわかりやすく解説「放火罪 不燃建造物 建造物の現住性 公共の危険」

放火罪の既遂時期(最判昭和25・5・25刑集4巻5号854頁)

【事実の概要】

 昭和22年2月5日、被告人Xは、Yが家族とともに数日前から居住していた建物に放火して、これを焼燬(しょうき)しようと決意し、作りかけの5合枡に底をつけ、その3方に高さ約4寸の杉板を打ち付け、その底部に機械油を浸したボロを入れ、さらに鉋屑(かんなくず)を詰めたうえ、これを風呂敷に包んで、Y方3畳間の押入床下に仕掛けて置き、翌日6日午前4時半頃、自宅から持参したスレート包装紙を約1尺5寸程度の長さに捻じり(ねじり)、前記5合枡に仕掛けて放火の仕掛けを完了した上、ライターでこれに点火して放火し、よって現にYおよびその家族が居住する同家の3畳間の床板約1尺4方および押入床板および上段約3尺4方等を焼燬した。

【争点】

 放火罪の既遂時期をめぐって、学説では争いがあるが、判例では、いわゆる独立燃焼説が採用されている。
 ライターやマッチで火をおこして、それを捻じったスレート包装紙に点火すると、包装紙が燃える。その火を家屋の3畳間の床板や押入床板に点火すると、床板に火が燃え移る。そのうち、 包装紙が燃え尽きて、その火が消えるが、床板は独立して燃焼している。この独立燃焼の時点において、建造物の焼燬(焼損)が認められ、放火罪は既遂に達する。これが独立燃焼説の考え方である。
 しかし、建造物に燃え移った火が独立して燃焼しても、建造物として利用でき、その効用が害されていない時点において放火罪の既遂を認める必要があるだろうか。不特定または多数の人の生命・身体などに一定の有害性が及んでいるとはいえない段階において、放火罪の既遂を認める必要があるだろうか。独立燃焼説の考えに基づいて放火罪の既遂時期を判断すると、それを不当に早めることになるのではないか。このような疑問や批判が向けられている。

【裁判所の判断】

 原判決挙示の証拠を綜合すれば、Y及びその家族の現に居住する本件家屋の一部たる3畳間の床板1尺4方ならびに押入床板及び上段各3尺4方を焼キ(焼損)したる原判示事実の認定を肯定することができる。そして原判決は右のごとき現に人の居住する家屋の一部を判示程度に焼キしたと判示した以上、被告人の放火が判示媒介物を離れて判示家屋の部分の燃え移り独立して燃焼する程度に達したこと明らかであるから、人の現住する建造物を焼キした判示として欠くるところはないものといわなければならない。それ故所論は採ることができない。

【解説】

 裁判所の判決からも明らかなように、判例は独立燃焼説に基づいて、放火罪の既遂時期を認定している。すなわち火の付いた媒介物から、その火が建造物の一部に燃え移り、燃え移った火が媒介物から離れて独立して燃焼していれば、放火罪は既遂に達する。
 日本の建造物の多くは、木造建築であって、それは可燃性の素材で作られている。従って、建造物の一部に火がついて、それが燃え始めると、またたく間に広がる。そのような事情を踏まえると、独立燃焼説には一定の合理性がある。しかし、現在では難燃性の建材が用いられている建物も多く、火が独立して燃焼しても、燃え広がり難くなっている。このような事情を踏まえると、独立燃焼説を機械的に適用すると、放火罪の既遂時期が早まりすぎてしまうのではないかという批判が出されてくる。それには一定の合理性がある。ただし、住居用建造物の建材の多くは、昨今では人と自然環境に優しい自然素材へと戻る傾向にあることから考えると、なおも独立燃焼説に基づいて既遂時期を判断する必要性はあるように思われる。

不燃性建造物に対する放火(最決平成元・7・7判時1326号157頁)

【事実の概要】

 被告人は、鉄骨鉄筋コンクリート造りの12階建てマンション内に設置されたエレベーターのかごに燃え移るかもしれないと認識しながら、ライターで新聞紙等に点火し、これを上記エレベーターのかごの床上に置かれたガソリンのしみ込んだ新聞紙等に投げつけて火を放ち、上記エレベータのかごの側壁に燃え移らせて、その南側壁化粧板表面の化粧シートの一部を0・3平方メートル焼失させた。
 被告人は、本件エレベーターのかごは、建造物を毀損することなく取り外しができるので、建造物の一部にはあたらず、建造物ではないので、それを焼失させても、(現住)建造物放火罪は成立しないと主張した。さらに、かりに本件エレベーターのかごが建造物の一部であったとしても、化粧シートの一部は、ガソリンのしみ込んだ新聞紙の火によって溶解し、その過程で炭化しただけであり、(独立)燃焼には至っていないので、建造物の放火は未遂でしかない。
 原判決は、被告人の主張を退けて、現住建造物等放火の既遂罪の成立を認めた。これに対して、被告人が上告した。

【争点】

 人が現に住居として使用している建造物(現住建造物)または人が現にいる建造物(現在建造物)は、戸建て住宅であれ、集合住宅であれ、狭義の居住スペースとそれ以外の部分から成り立っている。集合住宅の場合、例えば門やゲート、玄関やホールなどがあり、狭義の居住スペースにつながっている。また、エレベーターや非常階段などが備え付けられている。
 このような狭義の居住スペース以外の部分もまた、建造物に含まれるのか。それらが、狭義の居住スペースと構造上・機能上の一体性を有している場合、建造物に含まれるが、一体性がない場合には、建造物にはあたらない。器物として扱われるだけである。
 集合住宅のエレベーターは、居住者が各解に移動するために設置され、それは集合住宅での生活に欠かせない重要な機能を有している。その意味でエレベーターは集合住宅の各居住スペースと機能的な一体性を有している。取り外して修理したり、交換したりできるが、大掛かりな工事を伴うので、構造的に独立しているとはいえないと見ることもできる。
 構造的に独立しておらず、一体性があることを理由に、現住建造物の一部ととらえることがあできたとしても、エレベーター内の壁などは、難燃性の建材が使用され、火が燃え移っても炎が上がらず、煙やガスだけが出るようなもの、また燃えて火は出るが、そのまま消えていくようなものもある。
 建造物放火罪の既遂時期について、判例は独立燃焼説によって認定していることは先の事案において確認した。媒介物の火が建造物の一部に燃え移り、それが媒介物を離されて、独立して燃えるようになれば既遂に達した認定される。集合住宅のエレベーター内の壁などに難燃性の建材が使用されている場合、独立燃焼説からは、独立して燃えた(0・3平方メートル焼失した)という事実が認定されれば、既遂が肯定されることになるが、果たしてそれでよいのか。ある程度の燃焼が継続しうること(燃焼継続可能性)も踏まえて判断する必要がある。

【裁判所の判断】

 なお、1、2審判決の認定によれば、被告人は、12階集合住宅である本件マンション内部に設置されたエレベーターのかご内で火を放ち、その側壁として使用されている化粧鋼板の表面約0・3平方メートルを燃焼させたというのであるから、現住建造物等放火罪が成立するとした原審の判断は正当である。

【解説】


 エレベーターは、マンションの建造物を毀損することなく(側壁を多少は傷つけることはある)、取り外しがで きるので、マンションの一部分ではないと解することもできる(取り外し可能性)。しかし、エレベーターは、ボルトやナットなどで強固に取り付けられており、その取り外しは容易ではない(取り外し容易性)。つまり、エレベーターは建造物に構造的に組み込まれているのである。また、それは1階から上階へ移動するために利用され、マンションの住人の生活にとって重要な機能を果たしている。集合住宅内において、エレベーターが居住者のために果たしている機能的役割、またエレベーターと集合住宅の構造上の関係を総合的に判断すれば、エレベーターは建造物の一部をなしていると評価することができる。
 また、判例の立場である独立燃焼説から判断すれば、被告人はエレベーターのかごの化粧シートを燃焼させたので、放火罪は既遂に達していると判断することができる。ただし、燃焼させた事実だけでなく、その一定の継続可能性も必要であろう。それがない場合にまで放火罪は既遂を認める必要はないように思われる。

建造物の現住性(1)(最決平成元・7・14刑集43巻7号641頁)

【事実の概要】

 被告人は、平安神宮の本殿などを焼燬(焼損)することを企てて、某日の午前3時過ぎ頃、宿直員などが現在し、東西両本殿や社務所などが内外回廊などによって隣接している構造の平安神宮社殿の一部である祭具庫西側板壁付近にガソリン約10リットルを散布し、所携のライターで点火して火を放ち祭具庫などに燃え移らせ、その全部または一部を炎上させたが、社務所や守衛詰所に延焼することはなかった。
 被告人は、現住建造物等放火罪で起訴された。弁護人は、平安神宮本殿は一体として現住建造物を構成しているわけではなく、被告人が放火し焼燬したのは祭具庫などであり、それは人が現住していた社務所などとは別個の建造物にとどまるので、その行為は非現住建造物等放火罪が成立するにとどまると主張した。

 第1審・控訴審とも、現住建造物等放火罪の成立を認めた。これに対して被告人が上告した。

【争点】

 平安神宮のような建物においては、その敷地内に多くの建物が立ち並んでいる。その中には、社務所や守衛詰所のように人が寝泊まりする場所(現住建造物)もあれば、そのような使用が許されていない本殿(非現住建造物)もある。厳密にいえば、前者は現住建造物であり、後者は非現住建造物であるので、後者にだけ火を放ち、独立燃焼させた場合には、非現住建造物等放火罪が成立するだけである。
 しかし、現住建造物と非現住建造物とが、渡り廊下や回廊などでつなげられ、それが構造的に一体であるだけでなく、機能的にも一体のものとして利用されている場合には、非現住建造物の部分に火を放った場合でも、その全体に火を放ったものとみなされる。そうすると、非現住建造物の部分しか焼燬していなくても、現住建造物全体に対する焼燬が認められる。

【裁判所の判断】

 (1)平安神宮社殿(しゃでん)は、東西両本殿(ほんでん)、祝詞殿(のとりでん)、内拝殿(ないはいでん)、外拝殿(大極殿・だいごくでん)、東西両翼舎、神楽殿(かぐら でん)(結婚儀式場)、参集殿(さんしゅうでん)(額殿・(がくでん)、齋館(さいかん)、社務所(しゃむしょ)、守衛詰所(しゅえいつめしょ)、神門(しんもん)(応天門・おうてんもん)、蒼龍楼(そうりゅうろう)、白虎楼(びゃっころう)等の建物とこれらを接続する東西の各内廻廊(うちかいろう)、歩廊(ほろう)、外廻廊(そとかいろう)とから成り、中央の広場を囲むように方形に配置されており、廻廊、歩廊づたいに各建物を一周しうる構造になっていた、(2)右の各建物は、すべて木造であり、廻廊、歩廊も、その屋根の下地、透壁、柱等に多量の木材が使用されていた、(3)そのため、祭具庫(さいぐこ)、西翼舎等に放火された場合には、社務所、守衛詰所にも延焼する可能性を 否定することができなかった、(4)外拝殿では一般参拝客の礼拝が行われ、内拝殿では特別参拝客を招じ入れて神職(しんしょく)により祭事等が行われていた、(5)夜間には、権禰宜(ごんねぎ)、出仕(しゅっし)の地位にある神職各1名と守衛、ガードマンの各1名の計4名が宿直に当たり、社務所又は守衛詰所で執務をするほか、出仕と守衛が午後8時ころから約1時間にわたり東西両本殿、祝詞殿のある区域以外の社殿の建物等を巡回し、ガードマンも閉門時刻から午後12時までの間に3回と御前5時ころに右と同様の場所を巡回し、神職とガードマンは社務所、守衛は守衛詰所でそれぞれ就寝することになっていたというのである。
 以上の事情に照らすと、右社殿は、その一部に放火されるこ とにより全体に危険が及ぶと考えられる一体の構造であり、また、全体が一体として日夜人の起居に利用されていたものと認められる。そうすると、右社殿(平安神宮社殿の全体を指す――引用者注)は、物理的に見ても、機能的に見ても、その全体が1個の現住建造物であったと認めるのが相当であるから、これを同旨の見解に基づいて現住建造物放火罪の成立を認めた原判決の判断は正当である。

【解説】

 神社は、本殿や社務所などの複数の建造物からなり、それぞれが独立した建物であるが、廻廊や歩廊などでつながれている。本殿や祭具庫、翼舎などは、人の起居に使われていない建物であり、「非現住建造物」である。社務所は、神職とガードマンが執務し、就寝する場所として使われていたので、「現住建造物」である。これらは、廻廊や歩廊でつながれていた。このように個々の建物は独立して建てられいても、それらが物理的につながれ、機能的にも一体的に利用されている場合は、平安神宮全体が1個の建造物をなしていると評価することができる。そして、祭具庫や翼舎が放火された場合、その炎は廻廊などを伝って、現住建造物である社務所などに延焼する可能性があったので、祭具庫や翼舎に火を放つ行為は、それ自体として火現住建造物であっても、全体として現住建造物を放火する行為と認定することができる。
 その全体が複数の建造物から成り、その建造物のうち、現住建造物と非現住建造物がある場合、それらが機能的に一体的なものであり、それが物理的につながっており、ある建物にから火が出た場合には、それが他の建物に延焼する可能性が高いといえる場合には、その全体が現住建造物となる。

建造物の現住性(2)(最決平成9・10・21刑集51巻9号755頁)

【事実の概要】

 被告人Xは、抵当権の設定されている本件家屋を転売する目的で取得したが、本件家屋の競売開始決定の通知をうけた。そこで、被告人Yと共謀のうえ、競売手続の進行を妨害し、落札された場合には、居住権を主張して対抗するために、本件家屋に人が住んでいるように見せかける工作をすることにした。Xは、自己の経営する会社の従業員5名に対して、交替で本件家屋に泊まりにいくように指示し、約1ヵ月半の間に合計で10数回寝泊まりさせた。
 他方で、Xは本件家屋を転売することをやめ、Yと共謀して、本件家屋およびこれに持ち込んだ家財道具を焼損して、火災保険を詐取しようと企て、Yが本件家屋に火を放って、これを全焼させた。そこは、Xの経営する会社の従業員が寝泊まりしていた場所であったが、Xは、放火の実行行為前に、当該従業員らを沖縄旅行に連れて行き、本件家屋に寝泊まりできないようにし、これに参加しない者に対しては、旅行期間中は泊まりにいかないよう指示した。なお、従業員らは、旅行から帰ってきた後、以前と同様に本件家屋に寝泊まりすることになると認識していた。

 第1審・控訴審ともに、現住建造物等放火罪の成立を認めた。これに対して、被告人・弁護人は、次のように主張した。本件家屋は空き家であり、従業員らが寝泊まりしたので、家屋に人が住んでいるように仮装するのが目的であった。本件家屋が日常生活の場所になっていたわけではなく、そこに常時人が所在している蓋然性も高かったとはいえない。従って、本件家屋は刑法108条1項の現住建造物にはあたらない。かりに、本件家屋が現住建造物にあたるとしても、沖縄旅行期間中は従業員は寝泊まりしていなかったので、現住性は否定される。さらに、本件家屋が現住建造物であたっとしても、被告人Xは、本件家屋が非現住建造物であると認識し、現住建造物であることの認識はなかったので、その錯誤により現住建造物等放火罪の故意は否定される(主観的には非現住建造物放火罪の構成要件を実現する意思で、客観的には現住建造物放火罪の構成要件を実現した抽象的事実の錯誤に構成要件的符合説を適用し、構成要件の重なる非現住建造物放火罪の範囲において故意が認められる。成立するのは非現住建造物放火罪にとどまる)。

【争点】

 刑法108条の行為客体には、現住建造物と現在建造物とがある。後者は、現に人がいる建造物であり、住居として使用されていることは要件ではない。前者は、現に人が住居に使用している建造物である、放火の時点において、その住居に人がいることは要件ではない。では、本件家屋は現住建造物にあたるか。本件家屋は、Xが人が住んでいるように仮装するために数人の従業員を交替で1ヵ月半(45日)の間、10数回(日)寝泊まりさせた。また、本件家屋の家具などを焼損して、火災保険を詐取するために、従業員を沖縄旅行に連れていき、その間は寝泊まりさせなかった。ただし、従業員は、旅行後は再び交替で寝泊まりするものと認識していた。このような事情を勘案して 、本件家屋の現住性を判断しなければならない。

【裁判所の判断】

 以上の事実関係に照らすと、本件家屋は、人の起居の場所として日常使用されていたものであり、右沖縄旅行中の本件犯行時においても、その使用形態に変更はなかったものと認められる。そうすると、本件家屋は、本件犯行時においても、平成7年法律第91号による改正前の刑法108条にいう「現に人ノ住居二使用」する建造物に当たると認めるのが相当であるから、これと同旨の見解に基づき現住建造物等放火罪の成立を認めた原判決の判断は正当である。

【解説】

 もともと空き家であった家 屋を転売目的で取得したが、その競売手続が始まったために、競落された場合には居住権を主張して対抗するために、家屋に人が住んでいるよう見せかけるために、数人の関係者に1ヶ月半で10数回、寝泊まりさせた。さらに、持ち込んだ家具などを焼損して火災保険を詐取しようと企て、関係者を沖縄旅行に連れて行き、その間にこれを全焼させた。関係者は、旅行後には、以前と同様に寝泊まりすることになると認識していた。
 本件家屋の現住性の判断基準は、「人の起居の場所として日常使用されていたもの」か否かである。これは、居住の事実と居住の意思に基づいて判断される。もともと空き家であっても、数人の関係者が1ヶ月半のあいだに10数日寝泊まりしている(4、5日に1日の割合 )。たとえ特定の個人が住居として使用していなくても、複数人の関係者が当直用ないし待機用の宿泊施設として利用している事実が認められる。また、関係者は、沖縄旅行後に再び宿泊をする居住の意思を有していた。この点を重視すると、本件家屋の現住性を認めることができる。
 しかしながら、この「居住」は「居住の偽装工作」であり、その意思も偽装工作の意思でしかない。この点を重視すると現住性を認めることはできない。ただし、偽装であることは、第三者には判別することは容易ではなく、むしろ一般には複数の人が起居の場所として利用している宿泊施設であると認識しうる外観を呈していたといえる。

公共の危険の意義(最決平成15・4・14刑集57巻4号445頁)

【事実の概要】

 被告人は、小学校教職員用の駐車場に無人で停められていた被害車両のほぼ全体にガソリン1・45リットルをかけて、ライターで点火した。
 本件駐車場は、市街地にあって、公園および他の駐車場に隣接し、道路をはさんで前記小学校や農協の建物に隣接する位置関係にあった。被害車両の近くには、教員以外の者の所有にかかる2台の自動車(第1・第2車両)が無人で停められていた。そして、被害車両から3・4メートル離れたところには、周囲を金属製の網で囲ったゴミ集積場が設けられてあり、本件当時、一般家庭から出されたゴミ約300キログラムが置かれていた。
 第1審は、本件の被害車両に火を放ち、そのまま放置すれば、同駐車場に駐車中の他の自動車などに延焼するおそれを生じさせ、もって公共の危険を発生させたとして、刑法110条1項の放火罪の成立を認めた。これに対して、被告人は、刑法110条1項の公共の危険とは、放火行為によって、刑法108条(現住建造物)および109条1項(他人所有の非現住建造物)の物件に延焼する結果を発生するおそれがあるのではないかと、不特定の多数人に思わせるのに相当な状態をいうとして、第1審判決がその点を明らかにせずに、刑法110条1項の放火罪の成立を認めたことを批判して控訴した。
 これに対して控訴審は、刑法110条1項の公共の危険とは、不特定または多数の人の生命、身体、財産に対する危険であると定義し、それは刑法108条・109条1項の物件への延焼して火力による脅威を及ぼすおそれのある状態を生じさせた場合だけでなく、それ以外の財産に延焼して、そのような状態を生じさせた場合もまた、刑法110条1項の公共の危険の発生にあたると判断した。

【争点】

 この事案は、放火罪の基本的性格を理解するために非常に重要な論点を含んでいる。
 放火罪は、火を放って、建造物などを「焼損」することによって成立する犯罪である。その行為が個人の財産犯である建造物の「損壊」から区別され、より厳しい刑罰を科されるのは、たんに個人の財産である建造物を消失させただけでなく、不特定または多数の人の生命・身体・財産にも危険(公共の危険)を及ぼしたからである。放火罪の本質は、個人の財産への侵害よりも、この公共の危険の発生にあるため、社会的法益に対する罪として、そのなかでも公共危険罪として分類されている。
 刑法108条は(自己・他人所有の)現住建造物等放火罪、109条1項は他人所有の非現住建造物等放火罪であり、これらの規定によると、客体である建造物を焼損すれば、すでに公共の危険が発生していると見なされる。法文上、公共の危険の発生が要件とされていないのは、このためである(抽象的危険犯)。建造物が独立延焼せず、焼損に至らなかった場合、公共の危険の発生はないが、未遂として処罰される
 109条2項は自己所有の非現住建造物等放火罪であり、110条1項は108条、109条1項・2項の客体以外の(他人所有の)物の放火罪、110条2項は108条、109条1項・2項の客体以外の自己所有の物の放火罪であり、これらの規定によると客体を焼損するだけでは成立せず、法文上、公共の危険の発生が要件として定められている(具体的危険犯)。従って、独立燃焼し、焼損したが、公共の危険が発生していなければ、未遂である(ただし未遂は処罰されない)。
 上記の放火罪は、いずれも不特定または多数の人の生命、身体、財産に対する危険公共犯である。109条2項と110条1項・2項の放火罪の場合、公共の危険の発生が要件なので、その意味・内容、その判断基準が重要な問題になってくる。第1審判決を批判した被告人の主張と控訴審の判断は、それをめぐって激しく対立したが、最高裁は控訴審の判断方法に基づいて、被告人の上告を棄却した。したがって、控訴審と上告審の判断論理を正確に理解することが求められる。
 なお、本件は110条1項の放火罪の事案であり、その規定の公共の危険の有無について判断基準を示したものであるが、109条2項の公共の危険についてもあてはまると解されている。

【裁判所の判断】


 同法110条1項 にいう「公共の危険」は、必ずしも同法108条及び109条1項に規定する建造物等に対する延焼の危険のみに限られるものではなく、不特定又は多数の人の生命、身体又は前記建造物等以外の財産に対する危険も含まれると解するのが相当である。
 市街地の駐車場において、被害車両からの出火により、第1、第2車両に延焼の危険が及んだ等の本件事実関係の下では、同法110条1項にいう「公共の危険」の発生を肯定することができるというべきである。本件について110条1項の建造物等以外放火罪の成立を認めた原判決の判断は、正当である。
 同法110条1項にいう「公共の危険」は、必ずしも同法108条及び109条1項に規定する建造物等に対する延焼の危険のみに限られるものではなく、不特定又は多数の人の生命、身体又は前記建造物等以外の財産に対する危険も含まれると解するのが相当である。
 市街地の駐車場において、被害車両からの出火により、第1、第2車両に延焼の危険が及んだ等の本件事実関係の下では、同法110条1項にいう「公共の危険」の発生を肯定することができるというべきである。本件について同項の建造物等以外放火罪の成立を認めた原判決の判断は、正当である。

【解説】

 刑法110条1項の放火罪の成立には、「公共の危険」の発生が必要である。その有無は、何を基準に認定することができるか。現住建造物や他人所有の非現住建造物を焼損すれば、それによって公共の危険(不特定または多数の人の生命、身体、財産に対する危険)が発生するが、自己所有の非現住建造物や建造物以外の物を焼損しても、公共の危険は直ちに発生しない。判例は、延焼のおそれの対象を現住建造物や他人所有の非現住建造物に限定して、公共の危険の発生を形式的に判断せず、それ以外の物への延焼のおそれを実質的に判断している。

公共の危険の認識(最判昭和60・3・28刑集39巻2号75頁)

【事実の概要】

 被告人Xらは、Cらに命じて、他人所有の自動二輪車からガソリンを流出させて、所携のライターで火を放ち、同車のサドルシートなどを炎上させて、同車を焼燬(焼損)するとともに、その火を他人の家屋に延焼させた。Xらは、110条1項の他人所有の建造物等以外放火罪の(共謀)共同正犯により起訴され、同罪の成立が認められた。これに対してXらが控訴した。
 控訴審は、Xが、本件自動二輪の焼燬を命じた時点においては、本件のような重大な結果の発生を予測していたものとは到底考えられないが、110条1項は、その文言上からも明らかなように、結果的責任を定めたものであって、その成立には公共の危険の発生についての認識は必要ではないので、第1審判決は妥当であると述べて、Xらの控訴を棄却した。

 Xらは、110条1項の放火罪が成立するためには、公共の危険の発生が必要であり、それは本罪の構成要件要素であり、その故意が必要である。それが認められるためには、構成要件の認識、すなわち公共の危険の発生の認識が必要である。では、Xらにはその認識があったか。それがあったとはいえない。従って、110条1項の放火罪の「以外の物」について焼損したことにつき認識があったと認めたのは正しいとしても、そこから他人の家屋に延焼し、公共の危険が発生することについてまで認識していなければ、本罪の故意があったとはいえない。しかし、控訴審は、公共の危険の発生につき認識を要しないとした。それは誤りである。Xらは、このように主張して上告した。ここには、110条1項所定の公共の危険は、本罪が故意犯であり、その故意の成立には、構成要件要素である公共の危険の発生の認識が必要であるとの解釈がある。

【争点】

 刑法108条の現住建造物等放火罪と109条1項の他人所有の非現住建造物等放火罪は、行為客体である建造物を焼損すれば、そのなかに公共の危険の発生がすでに内包されているので(抽象的危険犯)、故意の成立に必要な認識としては、行為客体の建造物を焼損することの認識で足りる。
 しかし、109条2項の自己所有の非現住建造物等放火罪と110条1項の建造物以外放火罪は、行為客体である非現住建造物や以外の物を焼損しただけでなく、公共の危険の発生が必要なので(具体的危険犯)、故意の成立に必要な認識としても、行為客体の非現住建造物や以外の物を焼損することの認識だけでなく、公共の危険の発生の認識が必要である(はずである)。

 しかし、控訴審は、110条1項の放火罪は、その客体を焼損し、そこから公共の危険が発生したことを要するが、その危険について認識を要しないと明言した。ここには、110条の放火罪は、故意犯であるが、それは結果的加重犯である。判例によれば、結果的加重犯の故意は基本犯について故意があれば足り、加重結果の認識は不要である。公共の危険は加重結果であり、その認識は不要である。控訴審の判断には、このような解釈がある。

【裁判所の判断】

 刑法110条1項の放火罪が成立するためには、火を放って同条所定の物を焼キ(焼損)する認識のあることが必要であるが、焼キ(焼損)の結果、公共の危険を発生させることまでを認識する必要はないものと解すべきであるから、これと同旨の見解に立ち、被告人に本件放火罪の共謀共同正犯の成立を認めた原判決は、記録に徴(しる)し正当と是認することができる。

【解説】

 控訴審も上告審も、110条1項の放火罪を結果的加重犯と捉えている。そのため、加重結果である公共の危険の発生について認識を要しないと判断されている。それは110条1項が「よって公共の危険を発生させた」という文言からも説明することができる。

 しかし、考えるべきことがある。建造物以外の物を焼損し、公共の危険を発生させた場合、110条1項は他人所有の建造物以外の物、110条2項は自己所有の建造物以外の物とされている(法定刑に格差あり)。後者の自己所有の建造物以外に物を焼損し、公共の危険が発生し(加重結果)、さらに現住建造物や他人所有の非現住建造物に延焼した場合(加重結果)、111条1項の罪が成立する。また、他人所有の建造物以外の物に延焼した場合にも(加重結果)、111条2項の罪が成立する。

 つまり、110条1項だけを見ている限りでは、公共の危険は「加重結果」であり、認識は不要といえるが、その公共の危険から111条1項や111条2項の客体に延焼した場合もまた「加重結果」であると解すると、二重の結果的加重犯の存在を認めざるを得なくなる。学説では、「一重の結果的加重犯」でさえ、責任主義の見地から問題があるので、加重結果について認識は不要でも、認識可能性は必要であると批判している。これにさらに、結果的加重犯から加重結果が発生する「二重の結果的加重犯」になると、それ自体として認めることはできないと批判せざるをえなくなるであろう。

往来の危険の意義(最決平成15・6・2刑集57巻6号749頁)

【事実の概要】

 被告人は、購入した土地(本件土地)と旧国鉄の鉄道用地との境界線が不明確であったため、鉄道用地の法面の下付き付近を境界線とすることで旧国鉄と合意した。
 その後、別の土地の防災工事の費用負担をめぐって旧国鉄との間で紛争が生じ、被告人は旧国鉄側が費用負担に応じなければ、本件土地を採掘すると言い出した。これに対して、旧国鉄側が現地を調査し、採掘に対処するための強化工事として、本件土地と国鉄用地との境界線に鋼矢板を打ち込むことを決定し、工事を発注した。旧国鉄との協議が物別れに終わった被告人は、採掘のためにパワーショベルの手配にかかり、それを決行した。旧国鉄側が中止するよう警告し、H鋼を打ち込むなどしたが、被告人が、境界線と線路が最も接近している69号電柱付近の採掘を継続したため、土砂が崩壊し、土地の境界杭が落下し、電柱を防護するためのH鋼も滑り落ちた。しかし、線路のある軌道敷じたいが緩むことはなかった。
 しかし、上記電柱付近の盛り土の法面勾配が、国鉄の安全基準を大幅に超える急傾斜になったため、国鉄側は送電を停止し、工事ができないようにした。その後、被告人と交渉し、復旧工事を行った。
 被告人は、刑法125条の「往来危険罪」により起訴された。

 第1審は、69号信号付近の採掘断面の状況を踏まえ、電柱基礎の付近でスベリが発生する可能性が非常に高い状態にあったこと、スベリが発生して電柱が線路と反対側に転倒すると、線路の上に張られてある架線が外れて垂れ下がる可能性が高かったこと、さらには場合によっては架線の切断という事態の発生する可能性があったことを認め、電車の衝突、転覆、脱線などの実害が発生する「一般的可能性」を肯定し、被告人に往来危険罪の成立を認めた。

 控訴審は、第1審が依拠した鑑定書の正確性には疑問があるとして、それが肯定した「一般的可能性」を否定しながらも、往来の危険があったことを肯定した。来危険罪にいう「往来の危険」とは、電車の衝突、転覆、脱線などの実害が発生する「一般的可能性」について、物理的な実害可能性がなくても、実害が発生する可能性があると通常人に認識させ、かつそのように認識させるにつき相当の理由があれば、往来の危険性を肯定できると判断した。

 これに対して被告人が上告した。

【争点】

 往来危険罪における「往来の危険」とは何か。往来の実害が発生する客観的で物理的な危険性か、それと往来の実害が発生するかもしれないと通常人が主観的に感じることに相当な理由のある心理的な危険性の印象か。往来の実害が発生する客観的で物理的な危険性がある場合には、通常人もまたその危険性を認識するであろう。しかし、それがない場合でも、そのような印象を持つこともある。往来危険罪における「危険の発生」は、往来の妨害の物理的な危険性が肯定される場合に認められるだけでなく、そのように認識し、印象を抱くことに相当な理由がある場合にも認められるのか。

【裁判所の判断】

 平成7年法律第91号による改正前の刑法125条1項にいう「往来ノ危険」とは、汽車又は電車の脱線、転覆、衝突、破壊など、これらの交通機関の往来に危険な結果を生じさせるおそれのある状態をいい、単に交通の妨害を生じさせただけでは足りないが、上記脱線等の実害の発生が必然的ないし蓋然的であることまで必要とするものではなく、上記実害の発生する可能性があれば足りる。……本件についてこれをみると、旧国鉄関係者は、……掘削行為の規模及び掘削断面と上止69号電柱付近において地すべりが生じ、同電柱が倒壊するなどして、電車の脱線など安全な走行ができない状態に至るなど、極めて危険な状態にあると一致して認識しており、その認識は、現場の状況からして相当な理由があり合理的なものであったといえることなどに照らすと、上記実害の発生する可能性があたっと認められる。したがって、電汽車往来危険罪の成立を認めた原判決は、結論において正当である。

【解説】

 刑法125条の往来危険罪の「往来の危険」とは、汽車・電車の脱線、転覆、衝突、破壊などによって、これらの交通機関の往来に危険な結果が発生するおそれのある状態をいう。たんに交通機関の往来を妨害しただけでは足りない。従って、交通機関の往来が妨害され、汽車・電車の脱線、転覆、衝突、破壊が発生するおそれが発生することによって、往来の危険が認められる。
 本件の被告人は、本件土地と旧国鉄の境界線を採掘し、電柱付近において地すべりが生じ、電柱が倒壊するるおそれがあり、旧国鉄関係者もまた、電柱が倒壊すると、電車の脱線などが生じ、安全な走行ができなくなると一致して認識していた。そのような認識は、現場の状況を踏まえると、合理的な理由があったといえる。客観的な物理的危険性は「あったか、なかったか」のいずれかであるが、それを客観的に証明することは容易ではない。ただし、一般人の主観的な心理的印象を基準にすれば、往来の危険が発生しか否かは判断できる。

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