葛飾北斎には複数の名がある。晩年は「画狂老人卍」

学問

「富嶽三十六景」などで知られている「葛飾北斎」。しかし、葛飾北斎には様々な名があったということをご存知でしょうか。

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  • 勝川春朗
  • 宗理
  • 北斎辰政
  • 葛飾北斎
  • 戴斗
  • 為一
  • 画狂老人卍

このほかにも複数の名が存在したといわれています。

北斎は、この頃の常人では考えられない程、変な人なのです。 
生涯で九十三回も引越しをして居所を変えています。 

住居を移し、名前を変えてしまうと人は訪ねてくることができません。絵師への注文依頼も無くなります。 
北斎は、あえて名前を変え居所を判らなくしているとしか思えません。 

百万人群市といわれる江戸市中の人別帳で住居不定と書かれていたのは北斎一人だけだったと記されています。 

葛飾北斎名義作品 

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画狂老人卍名義作品 

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葛飾北斎の墓は「画狂老人卍」

葛飾北斎ではなく、死んだときの名である、画狂老人卍が墓に彫られている。

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葛飾北斎の娘 葛飾応為

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娘は葛飾応為(かつしかおうい)と言う。 
なぜ「おうい」という名がついたかというと、北斎が「おーい、おーい」と呼んでいたので付けたとのこと。

葛飾北斎の娘は「画狂老人卍作品」に協力していたと言われている。

彼女は西洋画に影響された絵を描いていたか、一般大衆にはウケなかったそうだ。

応為は不美人で顎が出ていたため、北斎は「アゴ」と娘を呼んでいたという。80歳後半の北斎自筆の書簡でも応為を「腮の四角ナ女」と評し、自身の横顔と尖った顎の応為の似顔絵が添えられている。 

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