意外とできない熟語の説明「文明」と「文化」の違い。説明できますか?

学問

 皆さんが日ごろから使用している「文明」と「文化」という言葉。しかし、文明と文化の違いを説明できる人は研究者を除き、一般人ではいないのではないでしょか。
 なんとなーく漠然とした違いは、私にもわかるけれど言葉にできない…

 そこで私は文献を漁ってみました。

ノルベルト・エリアス「文明化の過程」法政大学出版

 彼の言葉から引用すると文明と文化はこのように要約される。

  • 文化と文明はその語を用いるドイツ人やフランス人の国民意識を、彼らが世界を全体として考察するやり方を示している。
  • ドイツにおいて人間の価値を示す第一の言葉は「文化」。逆にフランスでは「文明」が最高の価値。
  • 「文化」は特性、したがって個人や集団の独自性や国民性の違いを強調するのに対して、「文明」は普遍性を強調し、国民や国民性の相違にかんする主張をある程度まで後退させる。
  • 「文化」は個々の人間が作り出した産物、あるいは、一民族の特性が表現されている芸術作品、著作、宗教的、哲学的な体系にかかわっているのに対して「文明」は人類あるいは、一民族の全体的な進歩の過程とその結果を強調する。ここでは絶えず動き、しかも前進していることが重要である。したがって「文化」では業績価値、「文明」では所属する集団と存在価値が問題になるだろう。
  • 「文化」という語は、ドイツにおいては知識階級の言葉にとどまり、一般化しえなかったのに対し、フランスにおける「文明」は広く国民的な言葉となる。

西川長夫「国境の超え方 -比較文化論序説-」(筑摩書房)

 西川長夫さんは、日本文学、あるいは日本の文化の変遷、国民の意識の変容ついての第一人者である。西川先生の著者「国境の超え方」には、文明と文化の違いが、さまざまな国の視点を通して詳細に述べられている。
 しかし、ここでは少しだけ抜粋する。

 文明と文化の対抗的な性格と対照的な位置づけを普遍と個別、精神と特質という二つの軸によって示せば、文明に関せば普遍性と物質性を強調し、文化にかんしては逆に個別性と精神性を強調するのが一般的。

西川長夫「国境の超え方 比較文化論序説」(筑摩書房)

ヒトラー「我が闘争」平野一郎ほか訳

  西川長夫の著書「国境の超え方」にヒトラーの「我が闘争」で用いた言葉が登場する。ヒトラーは非常に知的であり、かつ嫉妬深く用心深い人物であったと広く周知されているが、日本に対しどのように思っていたのだろうか。

 日本は多くの人々が思っているように、自分の文化にヨーロッパの技術を付け加えたのではなく、ヨーロッパの科学技術が日本の特性によって装飾されたのだ。
 実際の生活の基礎はたとえ日本文化が生活の色彩を限定しているにしても、もはや特に日本的な文化ではないのであって、それはヨーロッパやアメリカの、したがってアーリア民族の強力な科学技術的労作なのである。
 これらの業績に基づいてのみ、東洋も一般的な人類の進歩についてゆくことができるのだ。

平野一郎ほか訳「我が闘争」

伊藤俊太郎 三宅雪嶺

 西川長夫「国境の超え方」p195では、西川長夫は伊藤俊太郎と三宅雪嶺について語っている。

 伊藤俊太郎氏は、culture役に相当する「文化」の最初の用例として三宅雪嶺の『真・善・美・日本人』(明治二四)をあげている(『比較文明』六頁)が、これも伊藤氏自身が指摘しているように、テクストの分析を進めてゆくとかなり混乱があって雪嶺自身がどれほど意識的に「文化」と「文明」を区別していたかは判然としない。だがここで三宅雪嶺の名前が出されたのは重要な事だと思う。明治期においてフランス=イギリス的な「文明」概念からドイツ的な「文化」概念への転機を作るのに、おそらく決定的な役割を果たしたのは、『日本』や『日本人』によって活躍した明治二〇年代のいわゆる日本主義者たちであったと思われるからである。

西川長夫「国境の超え方」p195

 最近は日本を過剰に持ち上げるテレビ番組が増えてきた。しかし、日本特有の文化が築き上げられた過程で、日本は欧米諸国の文化を取り入れつつ、自分たちの暮らしに合ったスタイルにガラパゴス化したのであって基盤は訪米諸国。日本の文化は一体なんぞや。それは日本独自に変容を遂げた体系なのだから日本文化であることに変わりはないと言われればそうなのだが…
 私のような未熟者には少し早すぎたテーマであることには異論はない。

タイトルとURLをコピーしました