【河合英次】河合塾政治経済の河合先生は、型破りでハチャメチャ。だけど一生忘れない先生。

浪人

 僕が浪人時代お世話になった「河合塾 大阪校」。
 そこには、様々な個性的な講師が在籍していたが、ずば抜けてぶっ飛んでいたのが、河合塾の河合英次先生。

 河合先生は政治経済、倫理の担当をされていました。最初の授業からめちゃめちゃ面白い。受講した人はわかると思うが、声がでかい。廊下にまで響き渡ってるし、なんなら隣の教室の先生から苦情が来たことも笑。

 面白いだけじゃ講師は務まらない。河合先生は教える才能も素晴らしかった。配布プリントはわかりやすかったし「おまけの年号プリント」とかもくれる。
 授業は、適当に当てていくのだが慣れていないとちょっと緊張する。
 「わかりません。」は許してくれなかったはず。
 間違えてもよいからとりあえず何か言うことが重要。

「そこのうしろ彼!!!これわかるかな!」

「これは難しいけどねぇ、君たちならできる!!!」

「僕ねぇ、今まで14回骨折したんだ!」

 数年たった今でも頭に残ってますよ先生。

 河合先生は授業中に様々な奇想天外なエピソードを話してくれるのだが、それがめちゃくちゃ面白い。

ありとあらゆることを体験しているのではないかと思ってしまうほど。

うろ覚えですけど、ここでは河合先生が話してくれた膨大なエピソードの中で、特に印象に残っているものを紹介する。

デモの参加者は3人!?

河合先生は浪人時代、街中でデモをしたことがあるらしい。デモをするには警察に届け出をしなければならないが、その時に

「参加人数は?」

と聞かれた河合先生。河合先生は

(自分は人気者だから100人ぐらい来るだろう)

と思い100人と申請した。

しかし、いろんな知り合いに電話をかけても断られまくってしまい、最終的にはたった3人でデモを決行することになってしまった。

警察側は100人デモ隊に対応するための人員を用意していたが、当日はたったの3人。

警察官は河合先生たちを嘲笑いながら、一人、また一人と帰ってしまい、最終的には一人か二人になっていた。

河合先生は、たった3人でデモをしているから恥ずかしかったが、それ以上に警察官に

「がんばれー」

と励ましてもらいながらデモをしたことがめちゃくちゃ恥ずかしかったそうだ。

河合先生は授業で、

「警察に励ましてもらいながらデモするなんてことある!?」

と叫んでいた。

テレビに出演したのに、板東英二のせいで赤っ恥

河合先生は浪人時代、公園でテレビのインタビューを受けたことがある。

河合塾の横でカップラーメンを食べているときにテレビのクルーが取材しに来た。

そのクルーは、板東英二が一般人に投げかけられた疑問に答えるという内容の番組の人たちだった。

河合先生になんて質問をし、河合先生がなんて返したか忘れてしまったけど、河合先生はこのVTR見ているであろうスタジオの板東英二らにむけて熱い想いをぶちまけた。

河合先生はオンエアの日程を聞くと、すぐに

「おれ!テレビに映るから見て!」

と親戚や友人に話した。

オンエア当日、河合先生がインタビューを受け、熱い想いをぶちまけた映像がしっかりと放送された。

河合先生はスタジオの人たちはどんな答えを返してくれるのかと期待していたが、スタジオにいた板東英二は、河合先生の熱い想いには一切答えず、

「この子、ナンチャンに似てるな。」

と、言って番組は終了した。

河合先生はめちゃくちゃ恥をかいた。親戚や友人らが見ているのに、ナンチャンに似てると言われてしまったのだ。

すぐにテレビ局にクレームをいれたが、相手にしてもらえなかったそうな。

バブル期の青春

河合先生がバイトしていた頃、そのバイト先に好きな女の子がいた。

河合先生はその子に何かプレゼントしようと思い、”小説をたくさん買うと貰える非売品の腕時計”を女の子にあげようと決めた。

河合先生は必死になって応募券を集め、ついに、その腕時計を女の子にプレゼントすることができた。女の子は「ありがとう!」と言ってしばらく着けていてくれたそうな。

しかし、世はバブル真っ只中。

ある日、バイト先に来た”いかにも成金のような風貌”の人が、その女の子を気に入り、自分が身につけていた”高価な腕時計”をあっさりプレゼントしたのである。

女の子はとても喜び、その日から河合先生がプレゼントした”あの腕時計”は身につけて来なかった。

河合先生の浪人時代の友人

河合先生が浪人していたときに、医学部を目指していた友人がいた。彼はあまり勉強に集中せず、サボってばかりいたそうな。

その彼は、元野球部。将来の夢は野球選手だったらしく、まだ夢が諦めきれてない様子だったらしい。

そんなある日、河合塾のとなりのホテルに、プロ野球チーム(球団は忘れた)が遠征で泊まりに来た。

河合先生ら浪人生は、サインをもらいにいこうとしてたが、友人の彼は突然野球バットを持参してきた。

そしてなんと、そのバットを持ってそのプロ野球チームの監督の前に立ち、無言で何度も素振りをしだしたのだ。最初は野球チームの選手も、河合先生らも「何してるんだ笑」というように嘲笑っていたが、彼の真剣な表情と、一生懸命に何度も素振りをしている姿を見て、だんだんと周りが静まり返り、緊張感あふれる空気になっていった。

彼の素振りを見ていた監督は「ぜんぜんダメだね。」とひとこと言い、立ち去っていった。

彼は「ありがとうございます。」といって、帰ってしまった。それから彼はしばらく河合塾には来なかった。

そしてある日突然、彼が河合塾にやってきて、人が変わったかのように猛勉強しだしたのだそうな。

河合先生曰く、「彼の中にある”つっかえ”のようなものが無くなったようだった。」

バイトなのに労働組合の助っ人

河合先生はありとあらゆるアルバイトを経験している。

何のバイトかは忘れてしまったけど、河合先生は、アルバイトなのに”声がでかい”ことを買われ「労働組合の助っ人」として本社の前でマイクを持ち、いろいろ叫んだことがあるのだとか。

河合先生は、社長が出社するタイミングを見計らって、労組の要求をマイクで叫ぶが、すべてガン無視される。

河合先生はムキになり、その後も連日マイクでいろいろ暴言を吐いたが、見向きもされなかったという。

ある日、いつものように社長が車にのって出社してきた。社長が車から出てきたタイミングで河合先生は、

「社長!社会の窓全開ですよ!」

と叫んだのだ。

その瞬間、社長は”チラッ”と自分の下半身を見たのだ。

河合先生は社長が少しでも反応してくれたことに対して、大喜びした。

しかし、社長がお付きの人に「アイツは誰だ?」と聞き、アルバイトだとわかった瞬間、クビになった。

振られて、倒れて、肺真っ白。

 河合先生は、同じく河合塾大阪校で浪人していたそうだ。そのときに好きだった女の子がいたのだが、ある日、河合先生は女の子と一緒に帰ろうと塾の前で待っていた。そしたらなんと河合先生の知人の男と手をつないで出てきたのである。
 河合先生は頭がまっしろになりながらも帰路を歩いていたのだが、だんだん息が苦しくなり、呼吸をしようとしても吸うことしかできず、息を吐けずに倒れてしまった。

 救急搬送されてレントゲン写真をとって見てみたら、肺が真っ白。

「下手したら死んでたよ」

と言われたそうな。

宗教の幹部「ご教授願いたい」

日本人は宗教にあまり良いイメージを持っていないが、先生は、宗教に対して寛容である。

しかし、先生自身は「漠然としたものを信じるのがイヤ!」だとか。海外旅行先で外国人に「キミは誰を信じているの?」と聞かれた際に「僕は自分自身を信じている!」と英語で答えたそうな。

そんな先生のお宅にも、宗教の勧誘がやってくる。

普通の人は勧誘に来られたら「結構です。」と言うか、無視して居留守をきめる人もいるだろう。

しかし、我らの河合先生は期待を裏切らない。

先生は、宗教の勧誘に来た人に対し、自分の知識をフルに活用して論破しにかかったのである。

もちろん相手は先生の膨大な知識量を前に論破され、去っていった。

しかし後日、また先生の元を訪ねてきた。しかも、今度はなんと”宗教の幹部”を連れてきたのだ。

先生は、幹部に「私たちの元で先生をやってほしい(うろ覚え)」と頼まれ、お金も結構膨大な額を提示されたらしい。

しかし先生は

「私は宗教を信じる人は好きですが、自分は漠然としたものを信じることができません。」

と言って断ったそうな。

小ネタ

  • 河合先生はゴルバチョフと握手をしたことがある。手がものすごく大きかったそうだ。
  • 河合先生は農家の友達の株主である。
  • 河合先生はゲイの人がいる飲食店に連れてってくれる。
  • 河合先生は昔、生徒から小切手をもらったことがある。(もちろん断っている)

河合先生、初めての授業。

 河合先生は、関西大学の法学部出身。日本は景気が良かったので周りの友達は楽々、超大企業に就職することができた。

 しかし、先生は

  「あんなやつらが大企業にすんなり入れるのか」

 と思ったらしく大企業に不満を持ち、そのまま大学院へ。

 教授を目指していたが、コネがもっとも重要な世界で頼りにしていた教授が死亡。河合先生は、事実上教授の道はほぼ不可能となったそうな。
 (河合先生は、この院生の間、様々な面白いバイトをしています笑。労組の演説の手伝いとか。)

 とほうに暮れていたとき、河合塾の講師をやってみないか。と声をかけてもらった。

 初めての授業で、ガッチガチに緊張。何もかもうまくいかずに帰りの電車で嘔吐。駅員さんが優しく励ましてくれたのが印象的だったそう。

 先生が教壇でユラユラと揺れたり、落ち着きのない動きかたをよくするのは緊張して体が震えているのを生徒に隠すためにしていたことが、癖になってしまったんだとか。

 教師がおどおどしていると、それが生徒にも伝わってしまう。と考えていた河合先生。

 とことん生徒の事を思ってくれているのだと感じた。

 そんな河合先生は、まだ独身なのかな。ネットでエゴサーチしているらしいけど、見つけてくれるかな。見つけたらこのサイトのことを今の生徒さんに宣伝してください笑。僕はコミュ障だから河合先生と二人きりで会話したいとは思わないけど、また授業うけたいな。

たまに、ふと浪人していた辛い時期を思い出します。必ず河合先生が叫んでる姿が思い浮かんできます。浪人はめちゃくちゃ辛くて、何度も帰り道で泣いたけど、河合先生の授業を受けたら「よし頑張ろう」って思い直すことができました。

 浪人生活が終わり、数年たった今、当時の河合塾のテキストは処分したけど、河合先生からもらったプリントや政治経済のテキストだけは「一生懸命頑張った証」として残してます。

タイトルとURLをコピーしました