偏差値40のヤンキー高校で過ごさなかったら、偏差値60台の大学には行けなかっただろう。

 僕は一年間、上位の大学へ合格するために浪人しました。その時に一年間で偏差値を30から60台後半、まであげました。自分では「ビリギャル」より頑張ったと自負しています。

 結論から述べると、浪人生活は僕の人生において最も有意義かつ、最も暗黒な一年間だったと、この先思い続けると思います。

 浪人するまでに様々な出来事があり、話が長くなってしまうが語らせてください。

 僕の出身高校の偏差値は40。中学生のころは勉強がめちゃくちゃ嫌いで、高校受験なんて一度も、一秒もせずにPSPの太鼓の達人で永遠あそんでいました。
 「高校なんてどこも同じだし、頭悪いほうが面白そうwww」
 なんて思いながら、高校の入学式当日。自分のクラスに入ってみると… 

 メンチをそこら中に切りまくってる襟足の長い人、元暴走族のメンバー、陸上部のくせに頭がワックスでイガグリ状態の人、担任の先生をいちいち論破しようとする人、etc…

 まぁそれはそれは個性豊かなクラスでしたよ。その高校は女子生徒の比率が極端に低かった(低偏差値あるある)ので全員が男子のクラス、いわゆる「ダンクラ」が生まれてしまう。僕はそこに放り込まれてしまったのです…
 最初は舐められないように、頑張りました。そりゃ頑張りました。頑張って面白い事をしようとしたり、とにかく「陰キャ」にならないよう自分自身を取り繕う努力をしました。そのクラスで「陰キャ」認定されれば、いじめられる事は明白なのです。
 入学から数か月たって、ようやく馴染めるようになり個性豊かな友達もできはじめ、一緒に遊びに行ったりしていると、「あれ、なんか違うな…」「なんでこんなヤバいことして笑ってるねん」と思うことが多くなりました。

 駅構内で不細工な女性に対し聞こえる声で悪口を言ったり、未成年なのにとりあえず居酒屋に行こうとするし、カラオケのドリンクバーにいたずらするし、バイクで通学している自慢大会が定期的に開催されるし… ここには書けないこともたくさん見てきました。

 そのような経験から、「勉強しなければ、大学でもこのような環境に身を置くことになるのか。」と思い始め、僕から見て上位の大学「関関同立」をめざすことを心に決めました。
 正直、「自分はこんな奴らとは違う!」と思い込みたかったところもあります。まぁ、友達は友達ですから、友達を見下してこのように思っている時点で僕もクズなんですよね。
 「この学校はゴミだ」と思っていたから、体育祭も文化祭も修学旅行も何もかも参加しなかった。

 勉強して平和な環境に身を置けるように頑張ろう!と思ったのは、高校2年の冬。
 世間一般からみると、遅すぎると思うが、僕の高校は大学受験なんて考えていない。とりあえず指定校推薦枠で適当な下位の大学に放り込んで、残りは専門か就職に。みたいな方針の学校なのです。当然授業内容も適当。

 「英語は単語の穴埋めクイズ 」「現代文はみんなの恋愛相談タイム」 「数学はお昼寝兼お食事タイム」etc.

 なんとなーく毎回こんな感じで、だらだらと過ごしていました。ちなみに理系に進んだけど数3なんてありませんよ。だから担任の先生に「関関同立に行くことに決めてん。」と相談したときは、

 「んなアホか笑。まぁ頑張ってみてもええけど、産近甲龍でも厳しいで。」

 ムカついた。「やってみんとわからんやんけ!」って思っていたし、匿名掲示板「2ちゃんねる(現5ちゃんねる)」のまとめサイトには、

関関同立マーチは3か月で余裕」「政経と英語だけやっとけ」「3か月はガチ」

 って書いてあったので、「俺もガチれば3か月は無理やけど、半年ぐらいでそこそこの学力になってるやろ。見返したるわ。」って思っていた。
 とりあえず、政経、英語の参考書を買うことから始め、ネットで評価の高いものを買い漁っていた。
 そして、満足していた。

 当然今まで、一度も勉強してこなかった人間が集中できるわけもなく、「あと受験まで〇〇〇日あるから、まだええやろ。」と過ごしていた。

 高校3年の夏。いまだ、何も手をつけていない。さすがに焦ってくるが、前述の2ちゃんの言葉「3か月あれば受かる」の言葉にすがりつき、もはや手遅れであるのにもかかわらず、まだ自分はやれるんだと思っていた。いや、そう思いたかったのだ。だって自分が無能って知りたくないから。

 ようやく勉強し始めたのは、高3の秋。政治経済の参考書が意外にも面白く、初学にもかかわらず、すんなりと頭に入ってきた。
 この時から、僕は「政経さえ極めれば、ワンチャンいけんじゃね」と思うようになり、英語、国語を一度も勉強しないまま、高校生活最後の模試に挑んだ。

 模試の結果。もちろんEEEEEEEEどれもこれも「E判定」。これを担任に相談すると、さすがに担任も優しく声をかけてくれた。

 担任「志望校落として、産近甲龍にしたらどうや?」

 僕 「はい、そうします。」

 もちろん産近甲龍もオールEだったことは内緒にしていた。けれど絶対に平均より下の大学には行かないと心に誓っていた。
 なので産近甲龍の中で比較的入りやすい、「京都産業大学」に志望校を絞った。

 試験日までは、政経しかやらなかった。政経しかやれなかった。だって他の教科を勉強しようものなら、自分の学力が疑いの余地なく「底」であることが露呈しまう。それを僕は認識したくなかったのだ。知りたくなかった。うっすら気づいていたけど知らんぷりしたかった。

 試験当日。母親が車で最寄り駅まで送ってくれた。

 「じゃ、終わったら迎えに行くね。」

 この言葉を聞いて泣きそうになった。「ごめんなさいお母さん、こんなダメな息子で。」心の底から謝った。

 試験が終わってからは、学校へも行かず、ただただYOUTUBEを見て過ごした。もちろんすべての日程が、不合格であった。

 浪人篇へ続く。

 

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